『ホシナ大探偵』

国立国会図書館の「近代デジタルライブラリー」に、押川春浪著『険奇探偵小説 ホシナ大探偵』というものがあった。大正2年(1913)4月、本郷書院発行。
大探偵・保科鯱男が、行方不明になった伯爵家の家系の令嬢・河野楠子の行方を探り、悪漢の魔手から危機一髪のところで救け出す物語である。
日本の探偵小説の嚆矢と言って良い江戸川乱歩の「二銭銅貨」が発表されたのが大正12年(1923)だから、この作品はそれを遡ること10年。そんな時代の「探偵小説」で、それも「ホシナ」が主人公になっていると思しいからには、是非とも一読しておくべきだろうと思って読んでみた。

さて、少々長くなるが、冒頭の部分を引用しよう。

『ハヽア、京都だナ』
疾風(はやかぜ)のホシナと呼ばれた保科大探偵は、何んと思つたか凝乎(じつ)と僕の長靴を見詰めて居たが、唐突(だしぬけ)に此様な質問を発した。恰度その時、僕は安楽椅子に凭り掛かつて、ダラリと脚を投げ出して居たのだが、大探偵は一心に僕の長靴を見詰めて居るので、之はテツキリ長靴の問題だなと思ひ、少し首を擡げて、
『串戯(じやうだん)ぢやないよ、之でも船来(はくらい)だぜ、巴里で仕込んで来たのだよ』
と、僕が聊かムツとして恁(こ)う答へると、保科大探偵は俄かに微笑を唇辺に湛え乍ら
『イヤ君浴(ゆ)の事だよ、京都の上方浴だらうと言ふんだ、君は何故粋(いなせ)な江戸名物の銭湯に入らずに、贅沢な、ハイカラな上方浴なんぞへ行くのだと聞くのだよ」
『あゝ左うか、夫れはね…………僕は此の二三日何だか脚気の気味で頗る閉口して居るんだ。所が或る人に聞くと、上方湯は大層塩分を含んで居て、脚気に好いと云ふものだからね、物は試しと入って見た迄さ』
『所でだね、保科君…………』
僕は猶も語を続けた。
『君は僕の長靴を見て直ぐ上方浴だと断定した様だが、何かい、長靴と上方浴と何か関係でもあると言ふのかね』
と反問した。『ハヽア渡邊君』と保科君は聊か戯談半分の口調で、
『推論と云ふものは大抵間違はんものだよ、僕は夫を説明する順序として、最一つ質問を発して見やう。君は今朝(こんてう)誰れかと相乗で自働車を飛したね、何(どう)した、是れが同じ推理で説明し得るんだ』
僕は直ぐ反対した。聊か語気も荒々しく、
『夫んな君、全然異つた問題で説明することは出来んよ』
と云ふと、保科君は言下に『夫れだ夫れだ』と膝を叩いて連呼し乍ら、
『渡邊君、君の反対は理屈としては申分ないがね、僕の説明する所を静かに聞き給へ、先づ自働車の方から初めやうか、見給へ君の上衣の袖と眉(かた=ママ)には大変に泥のハネが上つて居るね、所でだ、君が若し自働車の真中に居たとすれば、全く泥撥(はね)が上つて居ないか、仮令(たとへ)居たにしても、左右が同様に上つて居る筈ぢや無いかして見ると君は自働車の左側に乗つて居たと云ふ事は慥かだ、同様に君は誰か同伴(つれ)と相乗りを遣つて居たと云ふ話論が出るだらう、理屈と云ふものは先づ恁うしたものさ』。
『夫はさうさ、而し浴と長靴の関係は別だぜ』
『同じ事さ、君の長靴の紐の結び方は何時でも習慣で一定して居る。所が今ま見ると今日は大分に異ふ、第一にハイカラだ、君の柄になく蝶結びか何かに成つて居る。して見ると君は何所で一度長靴を脱いだに相違ない。さらば穿く時に誰が其の紐を結んだか、是が大切な所なんだ、夫は慥かに靴屋か、左なくば上方浴の給仕(ボーイ)だ。然れども君の靴は未だ新品(あら)なのだから、靴屋の手に掛る筈は無い。さあ愈々靴屋で無いとすると、誰だらうね、言ふ迄もない上方湯の給仕ぢや無いか、先あ夫んな事は何うでも宜いとして、君が抑も思出した様に上方浴へ入つたに付ては、其所に啻ならぬ仔細があると、僕は睨んだが何うだい』
『フーム、其の理由とは…………』
『君は半ば好奇心で入つた迄だと言ふだらうがね、其所だよ贅沢な上方浴へ入つてさ、特別浴槽(ゆぶね)まで買ひ込んで、大尽風を吹かしたのは宜いが、何うだ名古屋に何か野心でもあつたのだらう』
『なんだつて、よい…………』


推理小説好きの人なら、何だかどこかで読んだような気がするだろう。何となれば、実はこの作品、「有名なる英国の探偵小説家、コナン・ドイルの名作を日本の土地人物に当てはめて訳述したもの」(ハシガキ)なのである。
原作は、『シャーロック・ホームズ最後の挨拶』に収録されている「フランシス・カーファクス姫の失踪」。保科鯱男は恐らく「ホームズ/シャーロック」を捩ったものだろうし、渡邊君は言うまでもなく「ワトソン君」である。ヒロインたる楠子嬢も「カーファクス」から来ているのだろうし、他にも、悪漢・堀松雄が「神聖(ホーリー)ピーターズ」、布羅佐トミが「フレーザー」などがある。

「訳述」というだけあって、筋立ては原作に忠実に出来ている。
上記の引用部分で、「泥のハネ」の上がり方から渡邊君の行動を推測する部分も原作から取って来ているのだが、原作では「自働車」ではなく馬車である。左側に乗っていたから片側にだけハネが上がったというのは、馬車だから成り立つ話で、自動車ならそんなハネは上がらないだろう。
また、楠子嬢の後を追う不審な男のことを「英国人」と言う場面があるのだが、この男性は郡司君という歴とした日本人で、これも原作に忠実たらしめんとしたための不整合である。原作では実際にイギリス人のフィリップ・グリーンで、ローザンヌ(スイス)での出来事だったから成り立っている設定である。

そんな、ちょっと「?」な点は見られるものの、これはただの揚げ足取りで、ストーリーは面白い(元がホームズなのだから当り前だが…)し、文章にもなかなかテンポがある。
何よりロハで読めるのだから、興味本位で読んでみても悪くはないだろう。

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