「いろはうた」

「いろは歌」最古の全文、土器に…平安京跡

京都市中京区の平安京跡で出土した12世紀末~13世紀初めの土器に、平仮名の「いろは歌」のほぼ全文が墨で書かれていたことが分かった。

京都市埋蔵文化財研究所が27日発表した。いろは歌の全文がわかる資料では国内最古という。

貴族や皇族の邸宅「堀河院」跡の発掘調査で1983年に出土した土師器の皿(直径9センチ)の裏側に、赤外線などを用いた再調査によって、いろは歌47文字のうち43文字が確認された。

右端に最後の行の「ゑひもせす」があり、次の行に書き出しの「いろはにほへと」がある。最初は余裕を持って書き進めたが余白がなくなり、最後の行を右端に書いたとみられる。字は拙く、「よたれそ」を「よたそれ」と書き損じており、犬飼隆・愛知県立大教授(日本語史)は「和歌を習い始めたばかりの貴族の子弟が一生懸命書いたとも想像でき、かわいらしくも思える」と話す。(YOMIURI ONLINE)


「堀河院」と言えば、伊勢物語(6段)に「堀河のおとど」と出る藤原基経(836-891)の屋敷として有名だが、12世紀末〜13世紀初の頃、誰が住んでいたのかは存知しない。『讃岐典侍日記』で知られる堀河天皇(1079-1107)の里内裏だったのよりも後の時代である。
もっとも、僕の持っている歴史辞典によれば、堀川院は「保安年間(1120-23)の焼失後絶えた」とあって、実際のところどういう経緯なのかは判らない。

なお、この記事にの「いろは歌の全文がわかる資料では国内最古」には誤認があって、いろはうたそのものは、『金光明最勝王経音義』にある承暦3年(1079)のものが最古である。さらに揚げ足を取れば、確認できるのは「47文字のうち43文字」なわけだから、『金光明最勝王経音義』が「全文」なのに対して、こちらは「ほぼ」全文である。
ただし、『金光明最勝王経音義』は漢字で書かれているから、これはかなでほぼ全文が書かれたものとして、最古ということである。
さらにさらに揚げ足取りだが、「和歌を習い始めたばかりの貴族の子弟が」というのは、「文字を習い始めたばかりの貴族の子弟が」ではなかろうか、と、思う。

文字を見ると、素朴というよりはむしろ稚拙で、美術的な価値は感じられない。記事のとおり、子供が文字の手習いで書いたものが、偶々残ったものなのだろう。むろん、いろはうたが手習いの教材に使われていたというのも、特段新しい知見ではない。

とはいえ、こういう記事を見ると、意味もなく心躍る…とまでは行かないけれども、心揺れるくらいのものはあって興味深い。

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