附箋を剥がす(12)

『久生十蘭短篇集』(岩波文庫)より。
本当は附箋は貼っていない。貼るのが面倒なので、気づいた端からメモしているのである。

「ありがとうございました。これを聞けなかったらなにも知らずにしまったところでした」
といっているうちに、この家をだれから聞いたろうとふしぎになって、
この家はながらくひとに貸してあったのを、つい一昨日明けさせて越してきたばかりで、どちらへもまだ移転の通知をしてありませんが、よくここがおわかりになりましたね」
というと、…(「黄泉から」P23L15)


それほど明瞭ではないけれども、叙述観点の転換の例。

光太郎は提灯をさげてぶらぶらとルダンさんの家のほうへ歩いて行ったが、道普請の壊えのあるところへくると、われともなく、
「おい、ここは穴ぼこだ。手をひいてやろう」
といって闇の中へ手をのべた。(同P25L15)


「壊え(くえ)」ということばは、初めて目にした。
『日本国語大辞典』によれば、「崩・潰」の字を宛てて、「(動詞「くえる(崩)」の連用形の名詞化)山から土や岩などが崩れ落ちること」とある。『改正増補和英語林集成』を引いて、「Kuye クエ 潰」とする。
「鎌倉の見越の崎の岩の君が悔ゆべき心は持たじ」(万葉集・3365)の「くえ」である。

樹のない芝生の庭面が空の薄明りに溶けこみ、空と大地のけじめがなくなって曇り日の古沼のようにただ茫々としている。はかない、しんとした、みょうに心にしむ景色だった。(「予言」P36L7)


更級日記に、「昔より、よしなき物語・歌のことをのみ心にしめ、夜昼思ひて、行ひをせましかば…」とあるのと、同じ「しめ」である。(※ここは、通説とは反して、敢えて清音で読んでおく。)

安部はすこしばかり石黒からかってやれと思って、合図と同時に筒先を曖昧に自分の胸に向けて笑いながら引き金を引いた。(同P49L5)


女に別れる」以来何度か書いた、格助詞「に」の使い方。

「さきほどの鶴の話ですが、あれを食べてしまうことはごかんべんねがわれませんか。たぶんご承知のことと思いますが、わたしの孫が横浜で空襲にあい、生きているのやら死んでいるのやら今日まで消息が知れません。…」(「鶴鍋」P65L15)


この「ごかんべんねがわれませんか」が「a-r抜き」の現象を起こすと、現在ふつうに口にする「ごかんべんねがえませんか」に変化する。

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