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附箋を剥がす(13) Including 「全然」(その14)

附箋を剥がす(12)」に続いて、『久生十蘭短篇集』(岩波文庫)より。
「黒い手帳」の用例。

前回に続き、「a-r抜き」でない例。

しかし、生前、手帳にたいする彼の愛着と、研究にたいする彼の執念を知っているほどのひとなら、この場合自分と同じ思いに襲われるにちがいない。あれほどの妄執、あれほどの気魄が肉体が滅びたというだけであとかたもなく消滅してしまうとは思われぬ。(P113L9)


「omowarenu」の「ar」が抜けると、「omowenu > omoenu=思えぬ」になる。

一、一月元旦の朝のことである。自分の上の部屋で傍若無人に跳びはねる粗暴な物音で眼をさました。(P117L8)


「元旦」というのは元日の朝のことを言うわけだから、「一月」も「朝」も余計である。僕の周りの人がそんな文章を書いたら、間違いなくそんなことを言って戯調うのだけれども、昔の文学者が書いているとなれば、迂闊にそんなことも言いにくくなる。

われわれは遅まきながら、ルウレットがいま黒と赤と交互に(黒2―赤2―黒1―赤3)(3―2―1―3)という極めて秩序立った出かた(アッパリシオン)を飽くことなく繰りかえしていることを発見した。あだかも、彼がルウレットを支配しているかのように見えるのだった。(P129L5 )

あだかも自分の専門の研究は、いま一段落をつげたところなので、全部の時間を観察にあてることが出来る。(P136L9)

この二日間を通じて一言も前途の不安について語らない。あだかも忘れてしまったように見える。(P140L1)

貴様、もう死ぬ。……交会(まじわり)の日は浅かったが、あだかも年来の友と死別するような悲痛を感じた。(147L16)


ふつう、「あたかも」ということばだが、「あだかも」と濁音になる言い方もあるらしい。
『日本国語大辞典』によれば、『日葡辞書』に「Atacamo」、『和英語林集成(初版)』に「adakamo」とあるそうである。万葉集には「安多可毛」とあるから、「あだかも」と濁るのは、比較的新しい現象なのかもしれない(適当なことを言っているだけである)。
なお、島崎藤村の『破戒』に、「宛然」に宛てて「アダカモ」というルビがあるらしいが、見逃していた。

ホテルの支配人は空部屋に燻蒸消毒を施したが、それを知らずにその二階の部屋へ帰って来て寝た男が、わずかばかり階下から漏れて来た瓦斯のために死亡したのである。死因は全然不明である。(P143L5)


否定と呼応しない「全然」の事例。昭和12年(1937)の作品。

一、五日ほどのち、彼のところへ上ってゆくと、彼はたぐまったような恰好になって寝台の上に横たわっていた。(P151L2)


「たぐまる」というのはとんと目にしないことばではある。『日本国語大辞典』には、「しわがよってくしゃくしゃになる。ゆるんでしわがよる」とあって、用例はない。
東京都八王子の方言として「稲の穂などが垂れる」意が載せられているが、「…ような恰好」からすれば、こちらの方が適切なのかもしれない。

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