「阿氏」

先日、内田百閒『百鬼園随筆』(旺文社文庫)を読んでいて、気になったことば。
「百鬼園新装」より。

百鬼園先生憤然として阿氏を顧て曰く。
「三十年の一狐裘、豚肩は豆を掩はず。閉口だね」
「何ですの、それは」と阿氏が云つた。(P121L1)

「あらいやだ、お豆腐で痒くなるもんですか」と云つて、阿氏は急に声を落とした。(同L7)

「困るわねえ」と阿氏もその憂ひを共にした。「それに帽子だつて、今の薄色のでは、もう可笑しいわ。今時あんなのを、かぶつてる人はないでせう」(P123L16)

「帽子は、まあれでいい事にしておかう」と百鬼園先生が阿氏に云つた。「それとも、また山高帽子を出してかぶらうか」
「山高帽子は駄目よ」と阿氏がびつくりして云つた。(同L16)

「ここのところが痛いんだけれど、あたし肺病ぢやないか知ら」と云つて、阿氏は自分の胸を二本指で押へた。(P125L14)

百鬼園先生が、黙つてゐるので、阿氏は傍に散らばつてゐる新聞を読み出した。(P126L6)

某日、百鬼園先生は、外出先から帰つて、玄関を這入るなり、いきなり阿氏を呼びたてた。
阿氏が握髪して出て見ると、百鬼園先生は、赤い筋の大きな弁慶格子の模様のついた、競馬に行く紳士の著るやうな外套を著て、反り身になつてゐた。(P131L1)

「どうだ」と百鬼園先生が云つた。
「あら、誰の外套」と阿氏がきいた。(同L5)

「さう。よかつたわねえ」と云つて、阿氏はもう一度百鬼園先生の様子を見直した。(同L12)

「もう寒くないわねえ」と阿氏が云つて、それから急に百鬼園先生を促した。(同L16)


これ以外にも、抜き漏らしているものがあるかもしれないが、網羅性はさして必要がない。

この「阿氏」、百鬼園先生の妻を指すことばなのは明らかだが、『日本国語大辞典』にも立項されていない。
類似の語に「阿姉」があり、それには「(「阿」は人を表わす名詞の上に付けて親愛の意を添える)おねえさん。」とある。
『新版漢語林』の「阿」の項に、「人を親しみ呼ぶ時に、その姓・名などの上に付ける接頭語。『阿母』」と、『新字源』に、「親しみを表わす接頭語。『阿兄』」とある。
「氏」に冠するのは百閒の造語なのかもしれないけれども、「阿―」という語構成自体は、特殊なものではないようである。

阿に人を表わす名詞をつけるのは、中国語の用法ですね。
「阿姨」は「おばさん」の意味で、店のおばちゃんを呼ぶときなんかによく使います。
「おしん」は「阿信」で、音もなんとなく似ています。
内田百間の「阿氏」の「阿」は、たぶん「阿婆(ばあさん)」を略したもので、「婆」を入れるのを避けるために「氏」にしたのではないでしょうか。
ただし、中国語では「婆」自体は自分の妻を指すこともあって若くても「老婆」なんていいますが、「阿婆」は姑や祖母、日本語でいう老婆にしか使わないみたいです。
[ 2013/09/22 12:47 ] [ 編集 ]

Re: 中川@やたナビ さん

その後軽~くググってみたたら、一筋縄では行かないみたいです。「阿氏」というのは愛人の 佐藤こひ のことで、彼女のことを「アビシニア国女王」と呼んでいたんだとか。その略で「ア氏」だという説もあるようで…。
とはいえ、それが接頭語の「阿」と矛盾するわけでもないでしょう。
[ 2013/09/22 21:41 ] [ 編集 ]

なるほどー。
「アビシニア国女王」って誰のことかと思ったら、エチオピアの女王で、最後の皇帝ハイレ・セラシエ1世が摂政をしてたんですね。
ハイレ・セラシエといえば、ラスタファリアンの救世主で、意外なところで内田百閒とボブ・マーリーがつながりました。
[ 2013/09/22 22:58 ] [ 編集 ]

Re: 中川@やたナビ さん

いや、僕には繋がらないけど…。

百閒のことはそれほど知らないので、「アビシニア国女王」説の妥当性は判りませんが、そうだとしても接頭語「阿」を前提にしているとは言えるでしょうね。
[ 2013/09/23 21:45 ] [ 編集 ]

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