スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | | CM(-)TB(-) |  TOP△

「随筆家」

昨日の産経新聞の文化欄に、冲方丁が清少納言を題材に書いた小説『はなとゆめ』の紹介がされていた。

筆は剣よりも強し。『天地明察』『光圀伝』と大事業に掛ける男たちの世界を描いてきた作家、冲方丁(うぶかたとう)さん(36)が最新歴史小説『はなとゆめ』の主人公に選んだのは平安時代の随筆家、清少納言だった。一条帝の妃(中宮)である藤原定子に仕え、眠っていた才能を開花させていくが、やがて権力争いに巻き込まれ…。「彼女たちが最後まで戦えたのは、やわらかな文化の防壁があったから。悪口ではなく、人間性を尊ぶ文章で、力にあらがった」。おなじみ「枕草子」のイメージを一新する意欲作だ。


この人の本は読んだことがないのだが、『天地明察』のテーマのあまりのマニアックさ加減に、興味を惹かれてはいた。『光圀伝』も面白そうだ。それが、今度は清少納言だという。
平安時代には派手な戦争だのチャンバラだのがなかったから、なかなか小説のテーマにはなりにくい。それを、少々話題の作家が取り上げているわけだから、楽しみなことではある。

さて、小説の本筋とは関係のないところで、気になったこと。
「平安時代の随筆家、清少納言」というところ。平安時代に「随筆家」という職業…と言って悪ければ、肩書きは存在しない。「歌人」とか「漢学者」とか「能筆」なら、そのことばの存在の有無はともかくとして、概念自体は平安時代にも存在していた。けれども、「随筆家」というのは、概念自体、なかったはずである。何故なら、平安時代には「随筆」という文芸のジャンルが成立していなかったからである。
それに、清少納言が「随筆」を書いていたのだとしても、それはむしろ余技に当たるわけだから、「随筆家」を肩書きにするのも妥当ではないだろう。紫式部にしても、「物語作家」だったわけではないのである。
どうでも良いことのように思われるかもしれないけれども、清少納言が随筆を書いてメシを喰っていた、という印象を与えてしまいかねない憾みがある。

その他気になったところあれこれ。

定子の父である関白・藤原道隆が死去したあと、宮中で権力を握った叔父の藤原道長は、次々に政敵を追い落としていく。頼るべき人々を失い、孤立してしまう定子。〈わたしは中宮様の番人だ〉。清少納言は唯一無二の主君のために筆を執る―。


これはまた、道長が一体どれだけ極悪人に描かれているんだか?
僕は道長は善政を行なっていた政治家だと考えているのだけれども、これは小説だから、時代劇の悪代官みたように書かれていた方が面白いのに違いない。ただ、昔ながらの一方的な道長悪者説に立っているのだとしたら、少々残念でもある。

定子を楽しませようと書かれた枕草子は、宮中の人々に回し読みされ、大評判となる。紙と筆で、主君のまわりに「文化の防壁」を築いた。まさに "あっぱれ" だけれど、冲方さんは、それを受け入れた人々の精神性もすごいという。


現行枕冊子の成立は、定子崩御後とするのが通説だけれども、そのあたりをどのように纏めているのだろうか、気になるところである。

…などと思ってみても、タイトルが『はなとゆめ』で装丁がこんなでは、とてつもなく買いにくいから確認ができない。かといって、立ち読みはもっとやりにくい。
[蛇足1]
「それを受け入れた人々の精神性もすごいという」
自分のことは棚に上げて、なのだが、何でもかんでも「すごい」の一言で片づけてしまうのは、いかがなものかと思うのである。

[蛇足2]
ちなみに、道長の猶子である源経信によって枕冊子(の未定稿)が流出したのは、清少納言が道長方への乗り換えを意図して故意にしたものとする学説もある。

コメントの投稿











管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://hoshinahouse.blog101.fc2.com/tb.php/834-85931307










上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。