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「公正と信義に信頼して」

我が家で購読している産経新聞に、こんなインタヴュー記事が載っていた。

究極の目標は自主憲法制定です。憲法の前文はメチャクチャな日本語だ。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して…」は、正しくは「公正と信義を」で、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ…」は、「欠乏を免れ」だ。助詞の間違いは日本語の文体を乱し、みにくい印象しか与えないんでね。国家の基本法を正しい日本語に直すことが自主、自立です。
安倍晋三君が首相でいる間に憲法改正をやってくれないとね。「日本語として間違っていますから前文だけ変えます」と言えばいい。とにかく助詞を変えるだけで、「9条はいじりませんから」と。朝日新聞だって日本語をしゃべり、日本語で新聞を書いているんだろうから、まさか「それは間違っている」とは言わないだろう。(単刀直言。7月9日)


石原慎太郎議員のいつもどおりの「自主憲法制定」の必要性を訴える主張ではあるのだが、政治的・思想的な観点からではなく、日本語の問題として取り上げているところが興味深い。定着しているタカ派のイメージが嫌気されるのを回避するためか、今回はソフトな路線で攻めている。

さて、記事の中身だが、「自主憲法制定」が石原議員の政治信条なのだから、それ自体をとやかく言うつもりはない。政治家が自らの政治信条に則って発言するのは、当然のことである。が、この主張はいただけない。
これをメチャクチャな日本語とする根拠が判らないのである。「から」が妥当な表現なのかどうかについては材料を持っていないのだけれども(注1)、「公正と信義に信頼して」については物申しておく。

こういう表現が日本語の文体を乱し、みにくい印象を与えるのだとすると、次に上げる例のようなものも、日本語を乱す元凶になっているということなのだろうか。
以前も取り上げたものではあるけれども、改めて一例を上げておく。

謙作達はこの一っこくのような所のある、勝気な看護婦信頼していた。(志賀直哉『暗夜行路』後篇・第三・19)


リンク先のエントリおよびその他の関連エントリを見れば判ると思うけれども(注2)、「公正と信義に信頼して」というのは、けっして日本語としてメチャクチャなものではないのである。
もしそれでもメチャクチャだというのなら、日本語の文体を乱した元凶の一人である芥川龍之介の業績を記念して制定された文学賞の受賞は、今からでも辞退したほうが良い。

むろん、現代において常用される表現でないことは確かだけれども、だからそれがメチャクチャな日本語だという断定は短絡である。
現代の日本人が拠って立つ法律なのだからそれに相応しい現代の言葉に変えるべきだ、という主張なのならともかく、そういうニュアンスは感じられない。
どんな主張であれ、正しい知見に基づいて発言すべきである。

(注1)
青空文庫で「から免れ」で検索すると、寺田寅彦とか豊島与志雄とか菊池寛とか中島敦とか、錚々たる面々の文章に用例があるようである。が、自分できちんと読んだものではないので、ここに附記するに止める。

(注2)
馬上駿兵著『文豪たちの「?」な言葉』にも、それ以外の用例も併せて説明がある。

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助詞「に」まとめ

「公正と信義に信頼して」で1例を上げた、「を」とした方が良いかにも思える「に」。 これまで断片的にメモして来た用例を、ただ自分のために改めてまとめて列挙しておく。順不同。 でも、ちょっと考えてごらんなさい。」と、ダブダブがいいました。「きっと、何か思い出すからね。……みんな、この子にせっついてはだめです。」と、ダブダブは、ほかの者にささやきました。(ヒュー・ロフティング作・井伏鱒二訳...
[2014/07/13 22:44] URL HOSHINA HOUSE








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