「失笑」

「失笑」ということばを、「こらえ切れず吹き出して笑う」意ではなく、「笑いも出ないくらいあきれる」意味で使っている人が過半を占めるということが、ずいぶん前に報道されていた。

「改名主などと云ふものは、咎めだてをすればする程、尻尾の出るのが面白いぢやありませんか。自分たちが賄賂をとるものだから、賄賂の事を書かれると、嫌がって改作させる。又自分たちが猥雑な心もちに囚はれ易いものだから、男女の情さへ書いてあれば、どんな書物でも、すぐ誨淫の書にしてしまふ。それで自分たちの道徳心が、作者よりも高い気でゐるから、傍痛い次第です。云はばあれは、猿が鏡を見て、歯をむき出してゐるやうなものでせう。自分で自分の下等なのに腹を立ててゐるのですからな。」
崋山は馬琴の比喩が余り熱心なので、思はず失笑しながら、
「それは大きにさう云ふ所もありませう。しかし改作させられても、それは御老人の恥辱になる訳ではありますまい。改名主などが何と云はうとも、立派な著述なら、必ずそれだけの事はある筈です。」
「それにしても、ちと横暴すぎる事が多いのでね。さうさう一度などは獄屋へ衣食を送る件を書いたので、やはり五六行削られた事がありました。」
馬琴自身もかう云ひながら、崋山と一しよに、くすくす笑ひ出した。(戯作三昧、12)


前後を良く読んでみれば、「馬琴自身もかう云ひながら、崋山と一しよに、くすくす笑ひ出した」くらいだから、そんな「あきれる」ような気持あったのではないことが判るけれども、このような使われ方なら、さらっと読み流してしまえば、「笑いも出ないくらいあきれる」意に取られてしまいかねない気もする。
けれども、

どこまでもちゃくいで持ちきるばかりで一つも、ろくな噂は出ない。すると、その中に能勢が、自分の隣のベンチに腰をかけて、新聞を読んでゐた、職人らしい男の靴を、パツキンレイだと批評した。これは当時、マツキンレイといふ新形の靴が流行つたのに、この男の靴は、一体に光沢を失つて、その上先の方がぱつくり口を開いてゐたからである。
「パツキンレイはよかつた。」かう云つて、皆一時に、失笑した。(父)


のような例になれば、「失笑」が、「こらえ切れず吹き出して笑う」意味であることが明らかだろう。

殊更にそんなことを書くことにあまり意味はないのだけれども、そこを敢えて書いているのは、次の用例を見つけたからである。

日頃から老実な彼が、つゝましく伏目になつて、何やらかすかに口の中で誦しながら、静に師匠の脣を沾してゐる姿は、恐らく誰の見た眼にも厳だつたのに相違ない。が、この厳な瞬間に突然座敷の片すみからは、不気味な笑ひ声が聞え出した。いや、少くともその時は、聞え出したと思はれたのである。それはまるで腹の底からこみ上げて来る哄笑が、喉と脣とに堰かれながら、しかも猶可笑しさに堪へ兼ねて、ちぎれちぎれに鼻の孔から、迸つて来るやうな声であつた。が、云ふまでもなく、誰もこの場合、笑を失したものがあつた訳ではない。(枯野抄)


引例がいずれも芥川龍之介なのは、最近久しぶりに『芥川龍之介全集』を端から読み返しているからである。間に挟まっていた珈琲店のレシートによれば、この前に読んだのは2011年の2月のことだったらしい。

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